最近、無差別凶悪殺人事件が多発していることを受けてそんな死刑をも恐れない人を「無敵の人」と呼んでいるそうです。
以前は誰でも良かったと言いながら弱者を狙う傾向があったこれら凶悪事件も6月26日に起きた警察官殺傷事件のように一概にそうも言えない案件も出てきました。
無敵の人言えば10年前に秋葉原で無差別殺傷事件を起こした犯人のような境遇の人を差すようですがその背景には孤独、貧困、障害など生きていく上での難易度が上がる何かしらの原因を持っている人が多いように思えます。
彼ら無敵の人の怖いところは「失うものがない」ので死刑制度が抑止力にならないという点です。
では、そんな彼ら無敵の人が起こす事件から身を守るにはどんな方法があるのか稚拙ながら私の考えを書いてみたいと思います。
目次
一般人が思い浮かべる無敵の人のイメージ
このような凶悪な殺人衝動とは無縁の人が考える無敵の人のイメージとはどんなものなのでしょうか?
そうすると結構いろんな意見が出てきました。
・ニート、無職
・精神障害、発達障害
・サイコパス
・生活保護
・親に問題がありそこで育てられた(虐待・ネグレクト)
ただ上記のような同じ境遇の人でも人生に絶望していない人もいます。では無敵の人になってしまう人とそうでない人にはどんな差があるのでしょうか?
私なりに考えてみるとメディア公表されている情報しか知ることが出来ませんが、ここ最近の無差別凶悪事件を起こしてしまった人を見ると孤独で味方がいない(友人や理解者がいない)人が殆どだなという印象です。
その孤独の原因が気質によるものだったり障害によるものだったり、生育環境によるものだったり様々です。
そしてそこから社会生活を送ることへの困難が生まれ貧困や無職、ニートに落ちてしまい追い詰められた上に「自己責任」と突き放されたことでさらに人間不信が加速し「失うものが何も無い」⇒「なら最後に一矢報いたい(恨みや不満を他害で発散する方法で)」となっているのではないかと考えます。
もうひとつは「失うものがない(この世に未練が無い)から死にたい」⇒「でも自殺は怖いから死刑になろう」のような自身の終着点を与えてもらいたい衝動があるとも思います。
無敵の人の不満の発散方法がなぜ他害に向かうのかを考えてみる
社会に不満を抱くことは普通に生活している私たちにだってあります。でも無敵の人はなぜそれが殺人をするまでの他害に向かってしまうのでしょうか?
最近はインターネットやSNSなどの普及により良くも悪くも赤の他人の生活状況が簡単に見えるようになりました。
フェイスブックやインスタグラムには社会的地位が安定していて満ち足りて楽しそうな人たちの写真や書き込みがいっぱいあって自身は恵まれていないと自覚している彼ら無敵の人は『自分との格差』をダイレクトに痛感します。
外を歩けば幸せそうな家族やカップルが目につきます。だから現実の幸せが目につく外に出なくなり、その間の情報源がネットになる傾向があります。
ネット上ではウソか本当か分かりませんが自分も無職やニートなんですなどと不幸な境遇を語っている一見すると味方ともとれる人達がたくさんいます。
そしてそんな味方かもしれない他人に自身の恵まれていない境遇について共感を得ようと今の状況をぶちまけます。
ところがそこで「自己責任」「甘え」と言われ「罵倒」もされて、さらに今回のような事件が起こると無職ニート、精神障害者は死刑にしろとか隔離して政府が管理しろという極端な意見も急増します。
秋葉原事件の彼はまさにそれではありませんでしたか?
自己責任という言葉が流行った原因はまさに今の日本政府にあるわけですが、そのしっぺ返しをこれからの日本は受けて行くのではないかなとう不安が拭えません。
例えば就職氷河期世代の放置とか、少子高齢化による経済の停滞とか。
自己責任論に賛成の人も反対の人も関係なく被害を受ける可能性はあるわけですからね。見捨てられた(と思っている)彼らにとっはどちらも同じなんですよ。
個人が失うものがない無敵の人から身を守る方法・対策
失うものがない無敵の人から身を守るに方法についていくつか書いてみます。でも前提として今月26日の警察官殺傷事件のような場合はハッキリ言って一般人が完全に自衛できることなんて無いと思います。
それこそ日頃から防弾チョッキを着るとか生活に関わる全てのことを家の中で完結できるようにするとか非現実的なことをしないと無理です。
私たち一般人にできることはそういった無敵な人を刺激しない、近づかないことが一番の自衛になります。
例えば街中で悲鳴が聞こえたとか、何か人が騒いでいる様子を目撃したら野次馬根性で近づいたり状況を探ったりせずに即刻立ち去るようにしましょう。
現実でもネットでもむやみに他人を攻撃しない
よっぽど挙動不審とか言動がヤバイとか特徴があれば近づかないということである程度リスクを減らすことは可能です。
しかし極端な特徴が無い限り普通に生活していてどんな人が危険なのか外見から察することは難しいです。
特に無口で感情を表に出さない人はさらに判断が難しいです。なので少し腹の立つことがあってもむやみに他人に高圧的な態度を取ったり見下した発言をしないことです。
触らぬ神に祟りなしとも言います。手を差し伸べろとは言いませんが(それが良く作用する場合とそうでない場合があるので)せめて迫害しない立ち位置でいることですね。
無敵の人は普通の人と比べて沸点が低くなっているのでちょっとした自身への攻撃でストッパーが外れてしまいやすいです。
最近ではブロガーの会社員の方が自身のブログにコメント書き込みした人に刺殺される事件がありましたね。ブログなんかを運営していれば批判コメントや煽りコメントを貰ってしまうこともあると思いますがこんな時もスルーするのが一番です。
ひとりひとりが少しずつ他人に寛容になる
生活していると「えっこんな少しのことで怒るの?」とか「もう少し柔かい言い方ってものがあるよね」とか世間は優しくないと思うことが多くありませんか?
例えば無職ニート叩き、生活保護叩きのような経済を回す活動に参加できていない人達や妊婦叩きなど一部の優遇措置を受けている人達が標的になりやすい気がします。
仕事でも一度説明されたことをもう一度聞くと怒るとか、要領の悪い人を苛めたり罵倒したりとかね。
皆もう少し他人や物事に寛容になろうよ思うことが多々あります。
「自分がされて嫌なことは他人にしてはいけませんよ」と子供の頃に親に言われた経験がある人も多いと思いますが案外この自分がされて嫌なことを平気で他人にやっている人がいます。
そしてそんな人に限って自分が理不尽なことをされると、された内容以上の報復をします。俺(私)は良いけどお前はダメというまさにジャイアニズムです。
もし今貴方の中に例えば無職ニートは犯罪者予備軍だからどんなに叩いても良いなど極端な思想があるなら、もし自身が努力ではどうしようも無い不幸な状況になった時に他人にどうされたら救われるかを少しだけ考えてみて下さい。
ちょっとだけ優しくなる
いわば心の救済ですね。
これ今の個人主義の日本では大事なことだと思いますよ。
見捨てられた底辺民は抑圧され暴走する
昔に起こった一揆然り、底辺まで落ちて見捨てられた人は暴走しやすい傾向があります。
日本人は大人しい性格だから起こらないと思う方もいるかもしれませんが、昭和の頃はよく一般人が集団になって暴走することはよくありました。
これからは少子高齢化の加速や就職氷河期世代の高齢化、労働人口の減少、大規模震災など社会が停滞しそうな不安要素が盛りだくさんです。
要するに生活困窮者やそれによって心の不安を抱える人々がいとんでもない数出てくるわけです。でもその頃は生活保護制度は今より需給要件が厳しくなったり年金制度も雀の涙程度になっているかもしれません。
政府は移民を入れて不足する介護労働従事者を増やすとか寝言言ってますが、言葉も碌に通じない移民が大きな助けになるとは思えません。
多くが日本で就労できなくて生活保護申請が殺到するのが見えています。もし却下される人が多ければ日本人のように大人しくないので暴力に訴えた抗議運動や治安の悪化にも繋がります。
それに触発された日本人の生活困窮者も合流するかもしれません。
外国人技能実習制度なんてものもありましたが、ほとんどの事業所が不正していたことが最近発覚しましたよね?
そして高度な技術を持っている外国人労働者は日本より待遇の良い環境で働けるところはいくらでもありますので残るのは単純労働にしかつけないようなレベルの人々です。
日本人も優秀な人は外国で働く人も増えるでしょうし、お金持ちの人はもはや日本に居る理由が無いというところまできています。
でも底辺の人々を救うにはこういった優秀で余裕のある人々に主に経済面で助けてもらうことが必要不可欠なわけです。
ベーシックインカムの導入も必要かも
財源の問題等ありますが、底辺まで落ちたり様々な理由で他人と関わることが出来ない人でも最低限の生活を送れるようにベーシックインカムの導入も必要な気がします。
全く人と関わらなくても最悪生きていけるというセーフティーネットがあれば無敵の人でも絶望感が減るのではないかと思います。また無理に社会に参加させることを辞めることで言い方は悪いですが彼らを隔離することができるわけです。
人見知りの人は普通に働いている人の中にもたくさんいますがそれが極端な人と言うのは未診断なだけでやっぱり何かしらの障害など問題を抱えているように見えます。
事件を起こした後に知人へのインタビューでも語られることが多いですが、友達が1人もいないとか不登校とか単なる人見知りという性格の問題だけで片付けられません。
だからと言って無理やり矯正しようしてもダメな人はダメなんです。
一生懸命働いている人にとってみれば甘えと考えてしまいますが、「そういう生き方もある」「そういう生き方しか出来ない人もいる」ことを認めるていくしかないのではないかと思います。
ベーシックインカムの実現には財源の確保がやっぱり重要でしっかり経済を回すことが必要です。
しかし↓↓
日本政府の増税政策は北風と太陽の「北風」
今の日本政府が推し進めているのは財源確保の主な政策は増税です。
北風と太陽で言えば北風です。
増税すれば単純に考えれば税収が増えますが、日本人は心配性な性格なので老後のためにとかいう理由でお財布の紐がもっと硬くなります。だから増税しても効果が薄いのでさらに増税という悪循環になっているうように思います。
賃金アップしても未来に予想される不安を回避するために増えた分を貯蓄に回そうと考えますし、プレミアムフライデーのようなお金を使う機会だけ増やしてもダメなんですよ。
今は増税するよりも「お金を使っても大丈夫なんだよ♪」という安心感を持ってもらう政策を考えたほうが良い気がします。
確かにアベノミクスで景気は回復しているように思えますが、実感しているのは中間層より上です。底辺層は手元に残るお金が減るのが顕著なので好景気を実感しにくいです。
さいごに
このような凶悪殺傷事件は説得や法律が抑止にならないので、欧米式に武力制圧しかないのかリアルに考えてしまいます。もちろん武力は最後の手段ですが・・・
平和ボケしているかもしれませんが、それでも犯行を起こす前であれば見捨てない救済措置があれば思い止まってくれる人もいる気がしてなりません。